本文へ移動 文字サイズ背景色ふりがなをつける音声読み上げご利用案内

史跡ガイド

2007年10月4日

羽州街道猿羽根峠

羽州街道は、奥州街道と共に東北の二大街道で福島県桑折より分かれて、奥羽山脈を越えて山形県に至り、秋田県を経て青森県油川で再び奥州街道に合流する。そして津軽、秋田、山形の諸大名の参勤交替の道であった、猿羽根峠は、最上地方と村山地方を分かつ峠で羽州街道の中でも名だたる難所として知られていた。

溝口仁 羽州街道と舟形宿より

羽州街道猿羽根峠 写真

松尾芭蕉について

元禄2年1689年今から300年余り前の旧暦6月1日(7月17日) 大石田を6時出発とあるから猿羽根山は、8時頃ではなかろうか 松尾芭蕉、曾良一行も新庄に向う途中このさばね峠を越えている。

三島新道

明治9年、三島通庸が山形県令として着任、県内の道路整備に並々ならぬ熱意を持つ彼は、10年6月には猿羽根新道の開削に着手した。 名木沢~舟形
間の猿羽根峠越え約5kは、七十七曲がりといわれるほどカーブが多く、冬には雪崩れの恐れもある交通の難所であった。 ひどいところは岩角に手をかけて
登らねばならぬほどだったという。しかし三島は街道よりよほど迂回するが、勾配を緩くし馬車が通れるほどの道をわずか4ヶ月で完成させている。

イザベラ・バード

明治11年にイギリスの旅行家 イザベラ・バードがこの地を通過し、そのときの
様子を書いたと思われる文章がある。

峠道を登る。峠からは景色がとても雄大である。この長い坂道は軽い泥炭質地帯で 松や杉、低い楢の木の林が続く。こんどは長い下り坂を下るが、立派な並木道で新庄で終わる。

日本奥地紀行

とある明治11年頃といえば三島道路が出来てはいても、相当難儀な道のりであったと推測される、登りきりその見晴らしの良さに感激したものであろう。

斉藤茂吉

昭和の歌人斉藤茂吉はこの地を訪れ数々の秀歌を残しているなかで

もみぢ葉のすがれに向う頃ほいに さばね越えむとおもう楽しさ」「たうげには いづる水あり既にして 微かなれども分水界をなす

については、猿羽根地蔵尊表参道下に 標柱と歌碑がある。

猿羽根山の山頂は、南に毒沢、最上川が見下ろされ、遠くに葉山、月山を仰
ぎ。北に向えば二つ屋、遠くに出羽富士と呼ばれる鳥海山望む正に絶景の地
である。 出羽路旅行の方であれば是非訪れて往古に思いを馳せてもらいたい。

地蔵尊

猿羽根峠は、新庄藩と尾花沢を分かつ峠である。このような境界には外界から進入する悪霊を防ぐ峠の神が祀られる。いわゆる賽の神である。 猿羽根山の地蔵は、まさに、峠の地蔵である。「御巡見使ご案内帳」に縁起書が無いと記しているが、舟形の大沢与冶右ェ門家に次のような縁起書が伝えられている。 同家には「決して開けてはならない」云われている古い行李があった。
40年ほど前開けてみると地蔵薬師、観音の仏像と、長さ3m程の巻物が出てきた、それには、次のように記されていた。

昔舟形郷に大沢靭負貞景という人がいた。 信心深い人で、地蔵、薬師、観音を同家の氏神様として祀っていた。 藩境の猿羽根峠は名だたる難所で旅人は難儀した。  靭負はこれを深く憂い、自ら信仰していた地蔵、薬師、観音の3仏のうち、地蔵、薬師の2仏を猿羽根山峠に祠を建てて祀ったのがその開基だという。その後、尊像が盗まれたため、村人たちは浄財を寄進して尊像をつくり、これを祀った。宝永6年(1709)5月24日ことである

当初祀られていた場所は、明治天皇行幸記念碑の東向い(羽州街道)であるという。

舟形町の文化遺産より

地蔵尊 写真

朝日沢羽州街道

猿羽根山に朝日沢といわれるところがある。 この地の急坂を開削して羽州街道が作られている。この街道跡の峠の頂上付近に1里塚がある。
羽州街道は青森から秋田・新庄・山形・上山経て七ヶ宿へ至る道である。参勤交代のため、当地内の羽州街道を通行する大名は、北から津軽氏、戸沢氏、保科氏、土岐氏、諸侯であった。羽州街道は慶長以前は役内を通っていたが、その後、雄勝峠を越え、及位、院内を通るようになった。

舟形町の文化遺産より

朝日沢羽州街道 写真

戸沢藩境界碑

地蔵堂下の羽州街道脇に「新庄領」と刻まれた碑が建っている。藩境標識の碑である。碑の頭部は決落しているが、欠損部分に「従是北」と陰刻されていたと思われる

舟形町の文化遺産より

戸沢藩境界碑 写真

斉藤茂吉歌碑

猿羽根山表参道の石段左側に歌碑がある。かつて茂吉は猿羽根山に足をとどめ、数々の秀歌を残した。茂吉逝きて3年、輝子婦人が茂吉墓参のため来県さ
れたのを機会に昭和31年5月12日午後1時より関係者70人が集まって歌碑の除幕式が行われた。修祓の後、斉藤未亡人よって除幕されたということである。 歌碑には「もみぢ葉のすがれにふ頃ほいにさばね越えむとおもふなのしさ 茂吉」 と刻まれている。

斉藤茂吉歌碑 写真

また、斉藤茂吉が猿羽根山に訪れたときの様子と作品を解説する掲示が頂上にあり、そこには昭和22年5月29日疎開先の大石田から

午前6時ニ起キ、板垣ノ処ニテ朝食シ、薪ハコビノトラックニ乗り、葦沢ヲ経、名木沢ニ行キ、猿羽根山ノ入口マデ行キ、アトハ徒歩ニテ峠ヲ上った、チョウジョウノ地蔵堂に着イタノハ十時デアッタ。

歌集 「白き山」 猿羽根峠 にうたわれたその時の句が紹介されている。

名木沢を入口としてのぼるときちかく飛びつつ啼くほととぎす
谷うつぎむらがり咲きて山越ゆるわれに見しむと言へるに似たり
明治14年9月28日天皇ここを越えたまいき
郭公と杜鵑と啼きてこの山のみづ葉ととのふ春ゆかむとす
あさき峡とふかき峡とのまじわれる猿羽根の山にとぶほととぎす
笹の葉を敷きていこへるたうげ路ゆ南のかたをふりさけゐたり
こほしたる道とおもいていたりしさばねの山をけふ越えむとす
猿羽根峠のぼりきはめしひと時を汗はながれていにしへ思ほゆ
おのづから北へむかはむ最上川大きくうねるわが眼下に
元禄のときの山道も最上川ここに見さけておどろきけむか
雪しろき月読の山横たふをあなうつくしきと互いに言ひつ
たうげにはいずる水あり既にして微かなれども分水界をなす
舟形にくだり来れば小国川ながれの岸にねむりもよほす
年老いて猿羽根山のたうげ越えつるを今ゆ幾とせわれおもはむか
山岸に走井ありて人ら飲む心はすがしいにしへおもいて
したしくも海苔につつみしにぎり飯さばね越えきて取りいだすなり
小国川宮城ざかひゆ流れきて川瀬川瀬に河鹿鳴かしむ
もみぢ葉のすがれに向ふ頃ほひにさばね越えむとおもふ楽しさ

昭和21年10月13日聴禽書屋歌会

葉山、薬師様

御薬師様 正しくは松橋薬師瑠璃光如来像といい、平安後期藤原時代の作といわれ最上郡内で最も古い仏像の一つである。
由緒書きによれば、大同元年(806)、葉山大円院医王法印が隠居した折、葉山山頂から移して字ウカエ越えに祭ったが火災に遭い、現在地に移し奉った。

舟形町の文化遺産より

葉山、薬師様 写真

古くは、山岳信仰に由来する名刹として、縁日には近郷近在から人々が集まり、市が立ち、お堂に寝泊りした時もあるという。

お問い合わせ

まちづくり課 交流促進係
電話番号:0233-33-2556
FAX番号:0233-33-2516
  • 防災情報
  • 夜間・休日案内
  • 交通情報

舟形町役場

〒999-4601
山形県最上郡舟形町舟形263番地

TEL 0233-32-2111

(代表電話)

Mail info@town.funagata.yamagata.jp

  • ダイヤルガイド
  • 庁舎案内